日々本 其の三百二「本が生まれた」

『そのとき、本が生まれた』

(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ/清水由貴子 訳/柏書房)

ヴェネツィアにはミラノからの日帰りで半日だけ行ったことがあるけれど、そこがかつて「本の都」だったとは気がつかなかった。

コーラン、タルムード、多言語の書物。医学書に美容書、料理本、そして楽譜。すべて、印刷された書物はヴェネツィアから生まれた。 ……その活況たるや、グーテンベルグが聖書を印刷したドイツを凌ぐほどだった。実際、16世紀前半のヴェネツィアでは、ヨーロッパ中で出版されていた本のじつに半数が印刷されていた。さらには数だけでなく品質にもすぐれ、「彼地の印刷者のつくる本は豪華で美しかった」。16世紀のヴェネツィアで出版業が栄えていなかったら、こんにち私たちが手にしている本も、この世には存在しなかったかもしれない。

以上が帯でうたわれているコピー全文。たかが半日の滞在で、歩き回って買物をして食事しただけだから、ヴェネツィアの何を知っているという訳でもないが、確かに知の匂いは感じられたように思う。ただ行った当時はまだ本と本格的に関わっていた訳ではないので、本の都を匂わせるものがあっても、気がつかなかったのかもしれない。これでもう一度訪れるべき理由ができた。

紙の本がいずれ電子書籍にとって代わられるだろうという時代に、その紙の本が生まれた当時の話を読んでいると、電子書籍の未来というよりは本自体の未来を考える上でのヒントがたくさんある。「十六世紀の本は基本的にページ売りで、買った人が自分の好きなように製本する(それだけでなく細密画や題名を描き入れる)」「ルネサンス時代の書店では知識人どうしが顔を合わせ、話に花を咲かせて、しばしばアカデミーを思わせる場だった…」

紙の本の大部分が電子書籍に取って代わられていくと、こういう手作りの本が復活し、書店がアカデミーの場としての存在価値を見い出し…というイメージが湧いてくる。一度その未来像を[本の宇宙会議]でつきつめて討議できればと思う。

日々本 第302回 針谷和昌)

※以下、いくつかの備忘録

□担保を取るという行為はドイツの国民性。(p57)……何だかスポーツの戦い方にも通じる。

□アメリカを発見したのはコロンブスではなく、アメリゴ・ヴェスプッチという人で、アメリガ=アメリゴの土地、それが変形してアメリカになったという。(p130)……人の名前だったんですね。

□近代スポーツ医学と理学療法の父と呼ばれているのは、ジローラモ・メルクリアーレで、彼の『体操書』は1569年に出版された。(p170)……始めに体操ありき。

hariya  2013年9月24日|ブログ