サッカー 本の宇宙 vol.12『時代の証言者 サッカー 長沼健』

サムライブルーカフェ「サッカー 本の宇宙」には、長沼健さんの著書が2冊ある。

『時代の証言者 サッカー 長沼健』(読売ぶっくれっと/読売新聞社)
『11人のなかの1人』(長沼健/生産性出版)

長沼さんは言わずと知れた第8代日本サッカー協会会長。男気に溢れ、「この人のためなら」「この人が言うなら」と周りの人に思わせてくれたリーダーだと、多くの人は言う。

『時代の証言者』は、2002年の日韓ワールドカップ共催決定前後をプロローグに、子供のころの被爆体験から始まる。ドロップのような大粒の黒い雨、弁当 を食べているポーズのまま焦げた死体…そういう体験から、「私は生かされた、けれども、そう長くはないんだ」という思い。それらが長沼さんの潔さに直 結していたのではないだろうか。

途中「日本チームの戦いぶりがFIFAの第1回フェアプレー・トロフィーに輝き、69年5月、パリの授賞式に長沼が出席。スタンリー・ラウス会長からトロ フィーを受け取った」という記事が紹介されているが、このときのフェアプレー賞は、FIFAに加えてユネスコからも「ピエール・ド・クーベルタン・フェア プレー・トロフィー」をもらったという。

銅メダルを獲得したメキシコ五輪時代の日本代表は、実力があってしかもフェアプレーを率先していたということを、初めて知ることができて、この部分、とくに印象深い。

最後はワールドカップ初出場から再び2002年ワールドカップの話で終わっているが、全編、長沼さんの熱さがじわじわと伝わってくる内容。長沼さんには1 度だけ、それも10分という時間的制約の中で、インタビューさせていただいたことがある。長沼さんはその10分間に、普通なら30分かけても聞けないよう な中身の濃いお話をしてくれた。読んでいて、その時の長沼さんが重なった。

『11人のなかの1人』には「Soccer Spirits サッカーに学ぶ集団の論理」と副題がついているが、いくつかのテーマに沿って長沼さんの考え方が綴られて、「戦いの前に」「戦いにのぞんだら」「逆境のな かの勇者」「グラウンドの外での戦い」「モラルとサッカー」「フォア・ザ・チーム」などの章で構成されている。

そして「長沼健氏 主な経歴」が載っているのだが、その中から主だったところをピックアップしてみる。現代日本サッカーの歴史は、長沼さんとともにある。

1930年 広島市に生まれる
1945年 被爆、終戦
1947年 広島高等師範付属中学で全国中等学校サッカー選手権優勝
1950年 関西学院大学で関西学生リーグ三連覇
1953年 関西学院大学卒業、中央大学工学部に入学、ユニバーシアードに日本代表として出場
1954年 ワールドカップアジア予選・韓国戦で日本史上初のゴールを決める
1955年 古河電工入社
1956年 メルボルンオリンピック日本代表
1960年 天皇杯に実業団チームとして古河電工初優勝
1962年 日本代表監督就任
1964年 東京オリンピック日本代表監督、ベスト8
1968年 メキシコオリンピック日本代表監督、銅メダル
1972年 日本サッカー協会技術委員長、その後再び日本代表監督
1976年 日本サッカー協会専務理事
1987年 日本サッカー協会副会長
1994年 日本サッカー協会会長
1998年 日本サッカー協会名誉会長
2000年 日本フットサル連盟会長
2002年 日本サッカー協会最高顧問
2006年 日本フットサル連盟名誉会長
2008年 逝去

(文・社団法人 本の宇宙) 2010.06.02

hariya  2010年6月21日|データベース, ブログ