日々本 其の五十五「智徳」

『福澤諭吉 幕末・維新論集』(山本博文 訳・解説/ちくま新書)

このサイトの運営している一般社団法人 本の宇宙 は、慶應義塾大学創立150周年を記念して始まった「福澤諭吉記念文明塾」という塾の第1期修了生を中心にして立ち上がりました。塾の活動の中に「社会性・事業性を兼ね備えた政策提言」というグループ活動があり、私が所属したグループで提案した“知的環境創造空間としての新しい図書館”が最優秀賞を受賞し、その勢いでグループの仲間を中心に社団化し、それが進化して現在に至っています。

改めて以上の説明をしたのは決して自慢話をしたいからではなく、われわれの社団は福澤諭吉とは距離は長いですがつながっていて、社団の活動の方向はこれで良いのかと迷いが生じたときに、福澤諭吉が言ったり書いたりしたことを参考にする場合があるということです。その延長線上にこの本を見つけました。

この本には「旧藩情」「痩我慢の説」「明治十年丁丑公論」「士人処世論」の政治・社会評論の四編が収められています。最初の「旧藩情」の「まえがき」の日付は明治10年5月30日。つまり1887年で今から125年前。そこに「…この冊子は、今は陳腐であったとしても、五十年の後には逆に珍しく貴重な書物となり、歴史家の一助となるに違いない」と書かれていますが、本人の想像を遥かに超えて生き続けている評論ということになります。

当時は手紙に書く「様」の字の書き方が相手の身分によって違っていたそうです。「竪様」「美様」「平様」の区別があって、さらに下の者には「殿」を使う。ちなみに「竪様」は様の字を楷書で書いたもの、「美様」はくずして美の字のような「様」。同じく「平様」はつくりが平のような「様」。言葉遣いも違っていて、上士は下士に向かって「貴様」、その逆は「あなた」だったり、「見てくれよ」という意味の言葉を上士は「みちくれい」、下士は「みちくりい」、商人は「みてくりい」。125年後にはそういう違いがまったくなくなっているのを見たら、福澤諭吉は喜ぶよりも、当然という顔をするのではないでしょうか。

「痩我慢の説」の最初の方にはこうあります。「もし、各地域に余りや不足があれば、互いに交易すればよい。天が与えた恩恵により、耕し、食べ、者を作って使い、また交易して豊かな生活を送る。人生の望みは、これ以外にはない。どうして人の手によって国を分け、人工の境界を定めなければならないのだろうか。」 天が与えた恩恵を人の手によって分け定めるということに、福澤諭吉は常に疑問を投げかけています。

「士人処世論」には「クールカリキュレーション」という言葉が出てきます。(冷算)と和訳が付いていますが、福澤諭吉はたくさんの西洋語を翻訳しています。自由、義務、社会、科学、哲学、討論、権利、会社、経営、憲法、個人、教育、健康、演説、民主主義….この冷算は他の言葉のように定着はしなかったようですが、ちょっと使ってみたい良い言葉だと思います。

福澤諭吉は代表的な著書のひとつ『文明論之概略』で「文明とは人の智徳の進歩なり」と説いています。当時の日本の変革の時代を先導した多くの人を育てたその考え方が、いまの日本の問題を解決しようとする時にも相通じるという思いのもと、福澤諭吉記念文明塾が生まれたと聞きました。「智徳」とは「知恵と人徳」「学識と徳行」と大辞泉にあります。少しでも進歩して文明に貢献できるよう精進していきたいと思います。

日々本 第55回 針谷和昌)

hariya  2012年4月13日|ブログ