日々本 其の三十「お金」

「原発問題を考えていくと、僕の中では必ず組織の問題に行きつく。組織とは何だろうか?」と『日々本 其の二十八「メルトダウン」』の最後に書いたまま、そしてその疑問が頭の片隅に残ったまま、久しぶりにとある仕事仲間である友人(とこちらは勝手に思っている人)に会った。会って比較的早いうちに、この疑問を彼にぶつけてみた。するとこんな答えが返ってきた。

「それはたぶん、組織というより、お金の問題だと思う。普通の人の最終的な判断基準は、お金。組織を考えているように見えるのは、結局それが自分のお金に跳ね返ってくるからでしょう」

彼はずっと組織人として働いてきた。だから“組織に属する人”の気持ちがわかると言う。僕は自分で会社を立ち上げたりしてきているので、ちょっとそこらあたりの感覚が違うのかもしれないということだった。なるほど。

そのあと、いろいろなケースを考えてみたが、この「お金だよ」という話はかなり納得がいく。ここまで原発が進んできた大きな要素が、お金だということにも当てはまると思う。そう思った途端「お金って何だろう?」という思いが頭を占めて、翌日そういう本はないかと本屋で探してみた。

ありません。ちょうどいい本がなくて、でも本棚を見回りながら頭の中ではお金のことをいろいろ考えていて、結局、物的な欲望には限界があるけれど、お金といういわゆる概念への欲望はノーリミットで、それはある種の中毒のようなもの、そういう要素があるから経済が回るのだなんて考えているうちに、仏教の本へ行き着いてしまう。

『欲ばらないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ/サンガ新書)

僕はこのスリランカの高僧の本はたくさん持っているので、最近はこれ以上買うことを自分に禁じていたのだが、立ち読みするといま読みたいと思っていることが書いてあって、買ってしまう。ノーリミットの欲望の抑え方、お金中毒からの脱出の仕方が書いてある。お金のことをもう一度充分に考える前に、中毒の処方箋へ進んでしまったようなものである(この「本が欲しい」という欲望やコレクション癖も困ったものなんだけれど、それはまたいずれの機会に)。

本屋で探していたのは、以前読んだ『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』(河邑厚徳+グループ現代/NHK出版)で、僕は地域通貨とか使わないと減っていくお金のことなどをこの本で初めて知ったが、あとは『マネーの歴史』(ニーアル・ファーガソン/仙名紀 訳/早川書房)とか、そういう系統の本である。なのでこれらは家へ帰ってから、もう一度手にとってみた。どちらももう一度読む価値がありそう。『エンデ』は出版されて12年経つが、まったく色褪せていない。

個人的には、お金はもちろんなくては困るが、たくさんあってもう働かなくてもいいよ、となったら、それこそ『暇と退屈』を持て余してしまうと思う。それでも toto を買ったりするのは、まぁ一度は働かなくてもいいぐらいのお金を持ってみたいと思ってるからかな。

日々本 第30回 針谷和昌)

hariya  2012年2月20日|ブログ