日々本 其の十九「官邸から見た原発事故の真実」

『官邸から見た原発事故の真実』(田坂広志/光文社新書)
 

 
前回の『放射能から子どもの未来を守る』で、「脱原発」「浜岡原発を止める」という民主党の元の路線に戻そうと動いた3人の内閣官房参与のうちの1人、田坂広志の著書。「これから始まる真の危機」というサブタイトルの意味が、読み始めるとすぐにわかってくる。
 
最終的には、原発から生み出されてきたそしてこれからも生み出される高レベル放射性廃棄物の最終処分という究極の問題に行きつく。高レベル放射性廃棄物が低レベルになるまで10万年!以上かかり、10万年後の安全を科学と技術で実証することはできないという未来予測の限界の問題があって、技術の問題ではなく社会的受容の問題になってくるという。世代間倫理の問題であり、現在の世代である国民の選択と意思決定の問題でもあるという。
 
原発の安全性は、技術的な安全性に加えて、人的・組織的・制度的・文化的な安全性として捉えなければならない。例えば、安全性を世界最高水準にまで高め輸出する、と事故の後に話す人びともいる。こんな事故を起こしていて何を言ってるんだろう!?と僕は感情が先に立って、それではいけないということを上手く表現できなかったのだが、著者は理路整然と語る。この意見は技術的な安全性のみを言っているに過ぎず、今回の事故には人的・組織的・制度的・文化的要因も大きく、ここも徹底的に究明して原子力行政と原子力産業を徹底改革していかなければ、原発の将来はない、と。
 
また今回の事故を、千年に1度とか、交通事故との確率の話などと比較して語る人びともいる。これについても僕は何を言ってるんだろう!?空間的、時間的な規模が違うだろう、としか言い返せないのだが、著者は「確率論的安全評価の試走」は実はその「確率」の評価そのものに疑問があって確率論、統計論には限界があり、また「確率論の恣意的評価」という落とし穴もあるという。
 
たまたま廃棄物に関わる仕事をしたことがあって「NIMBY」という言葉は知っていた。「Not in My Backyard」つまり私の裏庭には棄てないでという意味。この言葉を知った時、肩すかしというか、だからどうなの?発展性がない言葉だなぁと思った。その感覚は今でも変わらないのだが、さらに「NOPE」という言葉もあるということを初めて知った。「Not on This Planet」この地球上には棄てないでということだという。「Not」というネガティブワードが最初に来る言葉には、イメージの発展性がない。やっぱり、だからどうした?であるのだが、それだけ激しくまた行きどころのない廃棄物ということが、これらの言葉からもよくわかる。
 
この本は現段階での原発事故に関する今後の方向性を最も明快に示唆する1冊だと思う。さらにもう少し続けて書いておきたいところがあるので、それは次回に。
 
日々本 第19回 針谷和昌)

hariya  2012年2月01日|ブログ