ことしの本棚34『いねむり先生』

『いねむり先生』(伊集院静/集英社)
 
 

 
つくば万博という国際博覧会が茨城であった。僕は関西系6企業の共同パビリオンの副館長をやっていて(博覧会に出展している全パビリオンでも最年少副館長だったと思う)、半年続くパビリオンの運営を多くのスタッフと共に四苦八苦しながら進めていた。だから巷のニュースに関心を向ける余裕もなかった。
 
そんなある日、夏目雅子が亡くなった、というニュースが入って来た。博覧会も終盤の頃だっただろうか。ショックだった。そのショックの度合いが思いもかけず大きくて、あぁ僕は彼女のファンだったんだ、と初めて知った。
 
彼女の旦那が伊集院静である。そういう順番でこの作家のことを知った。そしてつくば万博の5年ぐらい前から、よく読んでいた作家が阿佐田哲也だった。
 
だから、この本は読むしかなかった。そして読んでみると、つくば博からさらに10年前ぐらいに、僕が毎日口ずさんでいた曲を作って歌ったミュージシャンが頻繁に登場した。本の中では、「Iさん」とか「陽の字」と呼ばれている。
 
そういう人たちが、こういう日々を送っていたんだなと思う。そしてそれは、僕らの日常ではなく、非日常性にあふれている。それでいて作者はその日々を、淡々と書いている。その淡さが、この本のページをめくる原動力になっている。
 
登場人物は著者も含めてすべて濃い。でも文章は淡い。そのアンバランスが、文中に出てくる色川武大の作品『狂人日記』(講談社文芸文庫)を無性に読みたい気持ちにさせる。そこへ自然と導かれてしまう。こういうのを“本脈”と言うのだろうか。
 
 

  
ことしの本棚 第34回 針谷和昌)

hariya  2011年4月06日|ブログ