日々本 其の三百十四「海軍主計大尉小泉新吉」

『海軍主計大尉小泉新吉』(小泉信三/文春文庫)

彼れの勉強室の西向の窓の塀の向側には、津山英夫の静養している離れ座敷がある。信吉は好い音楽をかけるときは、この窓を明けてした。

…蒲団の上で渋い目で伸びをしながら…

彼れは自分で話すことも話したが、それよりも好き聴き手であり、好き笑い手であったと言えるだろう。

この一冊は、少年信吉の憧憬の体化した記念物である。

経理学校で書いた学生日誌というものを、死後になって見せられると、それには別の信吉が出て居る。

君の出征に臨んで言って置く。吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生れ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽したいと思っているかもしれないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。

前年の夏、信吉が帰宅中の或る夕、岡田で会食した後、芳郎に誘われて、もう一軒飲みに行き、吾々より遅れて、少し好い顔色になって返って来たことは、前に書いた。「フロリダ」という酒場……給仕人の一人がそのその夜のことを覚えていて…戦死のことはすでに聞いて知っていたのであろう。あそこへお坐りになったと、丁度池の向う側のボックスを指した。暫くいて、芳郎高橋二人を残して立った。戸口で帽子を渡されて外に出た。この酒場の硝子窓を漏れる光りの外殆ど燈火の無い横町を濠端に出て、水に映る家々の影を眺め、数寄屋橋から省線電車に乗った。

信吉の死後、信吉の海軍蔵書は出身校である幼稚舎か普通部か何れかへ寄附しようと考えたが、少年が一生の志望を定めるのはやはり中学時代であろうと思い、結局後の方へ差出すことにきめた。

彼れの生前、私はろくに親らしいことがしてやれなかった。この一篇の文が、彼れに対する私の小さな贈り物である。

僕はこれらの文章を、まるで小説のようだと驚きながら夢中になって読んだ。何度も何度も目頭が熱くなり、それが電車の中であってももう気にしないで感情のままにしていた。僕の中の大切な一冊にこの本は新たに加わり、そしてまた著者の小泉信三は文章はもとより生き方のお手本となる人だと直感する。彼についてこれまで知っていたことは「練習は不可能を可能にする」という言葉と、子どもの頃そのお姿をちらっと見掛けた覚えがあるくらいだった。「見つけた」という感じである。

今回この本を読んだのには、きっかけがあった。慶應義塾福澤研究センター准教授である都倉武之さんのお話を聞く機会があり、事前に読んでおくようにとご本人が推薦した本なのだけれど、そういうきっかけがなければ、おそらく一生読むことも手に取ることもなかっただろう。

その都倉さんから、昭和18-19年に当初知り合いのために300部のみ刷られ、著者を明記するところにも「父 小泉信三」と書いてあったこの本について(本人の死後、一般に出版されたそうだ)、出征に臨んでの「若し生れ替わったら」という部分は、「昭和40年代には結婚式のスピーチで引用される定番だった」ということを教わった。都倉さんのお話はいま開催されている「慶應義塾と戦争」展とも連動しているのだけれど、そこに展示されていた「昭和18年11月10日付『三田新聞』掲載」という中の次の部分も印象的。学徒出陣する慶大生たちに向けて話したものである。

しかし、小事は決して小事でない。父母を思ふこと篤き者は国を思ふこと篤き者である。母校を愛する人はまた国を愛する人である。(「征け、諸君」塾長 小泉信三―より)

こんな本を偶然読めたことが嬉しいし、お手本・小泉信三の本をじっくり読んで行くという、新しい楽しみが生まれたことが、さらに嬉しい。手始めに、次の3冊を買った。見つけた順に並べるとこうなる。

『平生の心がけ』(小泉信三/講談社学術文庫)
『読書論』(小泉信三/岩波新書)
『福沢諭吉』(小泉信三/岩波新書)

待ち切れなくて、どれも先ず頭だけ読んでみた。

日々本 第314回 針谷和昌)

hariya  2013年12月01日|ブログ