日々本 其の二百三十一「宮崎学 自然の鉛筆」

待ち合わせの場所へ行って、まだ来ていないと言われて案内された打合せの部屋で待つ。40分過ぎても相手は来ないし電話もメールも返事がない。ふだんそういうことはない人なので、これは絶対に忘れているか日を間違っているか(自分にもその可能性はあるが)だと思い、諦めてその場所を離れた。

それから3分後、僕はとある本屋に入り、これは買わなきゃと思わされる本に出会う。ちょっと大袈裟だけれど、捨てる神あれば拾う神あり的な展開。これも大袈裟だけれど、ある意味その時の僕を救ってくれたのがこの本である。

『宮崎学 自然の鉛筆』(宮崎学/IZU PHOTO)

三脚付きのカメラを熊が抱きかかえている表紙の写真。めくるとフクロウの写真、都会の夜に活動する動物たちの写真、獣道に順番に登場する動物たちの写真。《美浜原発と若者たち》というカラフルな写真もある。

そんな中、移り変わる季節を通じて定点で撮り続けている樹の写真に、先ず惹きつけられる。雪、青葉、遠くの夜景、霧…変化する季節に動かない1本の樹。著者が生まれ育った長野県の村の柿の木を2年間撮り続けた作品だそうだ。

そして動物の死体の時とともに移り行く変化。森の中の樹々に囲まれた場所で死んだニホンジカが、徐々に骨になり、雪が積もり、跡形もなくなっていく姿の定点観測。“自然に還る”その姿に、こんなふうに静かに死んで静かに消えていけたら、どんなに素晴らしいだろうと思えた。

待ち合わせ通りになっていたら、この本とはそしてこの写真とは出会えていなかったかもしれない。2日後、会えなかった人とも会うことができた。最初順調に会えなかったことによって、僕の手元には貴重な1冊の本が増えた。

日々本 第231回 針谷和昌)


hariya  2013年4月27日|ブログ