日々本 其の百七十一「住まい」

『ぼくの住まい論』(内田樹/新潮社)

内田樹が自宅兼道場を建てるお話。合気道を中心とした道場は畳を取ると能楽堂になり、また寺子屋学塾にもなる。著者が楽しみながら日本の素材や技術や才能を駆使して創った空間が、皆が集まる基地のような場所となっていて、行ってみたい、見てみたい、参加してみたいと思う。

以前、僕は合気道を習い始めたことがある。寒い時期だったけれど朝稽古に通ったり、結構集中して取り組んでみたんだけれど、どうも相性が悪かったのか続かなかった。もうだいぶ経つけれど、この経験だけで合気道を諦めるにはまだ早いと、著者の本を読む度に思う。著者の道場に入門したらきっと良いのでは?とも思えるのだが、残念ながらそれは神戸にある。さてどうするか。著者の師匠の道場は東京、しかも比較的僕の家の近くにある。そのあたり、ちょっといろいろ可能性がありそうにも思えてくる。

前にも書いたけれど、著者の本は読んでいる最中には「そーなんだ!」と納得して嬉しくなる部分がやたら多い。ところが読み終わると結構すっきり忘れている。そこで少しでも忘れないように、この本の「そーなんだ」部分を書き出してみる。

教師を長くやってきてわかったことの一つは「学びの場」は、そこで学んだ人たちにとって、生涯変わることのない「母港」でなければいけないということです。(p015)

「生産性の低い産業分野なんか淘汰されてもしかたがない」というようなことを言い放っているうちに、国内市場そのものが不可逆的に縮小し、やがて消失する。そうなったときには、よほど国際競争力のある個人以外は、国内外のグローバル企業での奴隷的な労働条件を受け入れる以外の選択肢が残されていません。(p060)

目の前に「はい」と自分の作品を差し出すことができる職業とそれができない職業があります。誰にでもその良し悪しがわかる仕事をしている人は「セールストーク」をする必要がない。自分を大きく見せる必要がないし、他人の仕事を批判する必要もない。長く「業界」にいたのでわかりますけれど、ぼくたちの世界の人間がこうるさく他人の仕事を批判し、あらさがしをするのは、「自分の作品」を「はい」と差し出すことができないからなんです。僕がクラフトマンをうらやましく思うのは、その点です。(p086)

僕が教師になって知って驚いたことは、「教師は自分が知らないことを教えることができ、自分ができないことをさせることができる」ということでした。(p177)

いずれ、多くの人が全国で同時多発的に「私塾」を立てて、そこで学校では教えない、成熟のために必要な知識や技芸を講じるようになるだろうと僕は予測しています。(p189)

僕にとって「母港」は2つある。1つは小学校の担任の先生とその教え子で作られた会、もうひとつは学生と社会人が混合で3ヶ月間学ぶ特別塾とそれからの活動。2つもあるなんてまったくもって贅沢なので、もっと積極的に母港づくりに貢献しても良いかもしれない。

新たに1人で母港となる私塾をつくるのは難しいかもしれないけれど、意気投合した何人かとつくるのだったら、もしかしたらできるかもしれない。時間はなんとかできる状態になってきているので、あとは場所。そしてそこにタイミングも大事なんじゃないかなぁと思う。

日々本 第171回 針谷和昌)

hariya  2012年12月24日|ブログ