日々本 其の百六十四「つながりすぎた世界」

ずいぶん放っとかれてしまったけれど、半年以上経ってもう一度手に取ってもらって結局最後まで読んでくれたので、良しとしよう…とこの本が言ってくれているといいなぁと思う。

『つながりすぎた世界 インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか』
(ウィリアム・H・ダビドウ/酒井泰介 訳/ダイヤモンド社)

行くと必ず買う書店の、通りがかると興味ある本がいつも置いてあるコーナーに、この本があった。買ってすぐ読み始め、今回気がついたけれど全体の 9/10 ぐらいまで一気に読んでいる。そこでなぜプツンと止まってしまったのか。その理由は半年以上経っていてよくわからない。おそらく、より以上の興味がある、読む必要性があると思い込んだ本が続けざまに次々とあって、それらを先に読んでいるうちに存在を忘れてしまったんだと思う。どんな理由があれ、放っておいたのは申し訳ないなという気持ちが、今回の最初の文章になっている。

カバーの折り込みに「本書を読み解くキーワード」が2つ書いてある。

overconnectivity 過剰結合
インターネット等によって世界が制御不能なまでにつながりすぎたために、社会や経済の少なくとも一部にほころびが生じた状態。過剰結合はときに暴食や深刻な事故を引き起こす可能性があるばかりか、最悪の場合は企業や一国を破滅の瀬戸際に追いやることもある。

thought contagion 思考感染
緊密に結びついたネットワーク内にデマや風評がまたたく間に広まること。バブル、パニック、熱狂といった言葉と併用されることが多い。

ほどほどのところで制御できないのが人間の欲望の恐ろしいところで、それはいわゆる金儲けというところによく現れる。科学の探求にも同じことが言えると思う。確かザッカーバーグの人間は繋がりたがるという言葉を雑誌penで見たことがあるけれど、つながりたいという欲望も制御しにくいということなのである。

訳者が最後にこう書いている。…著者は…複雑すぎて人間の能力によっては暴走時に制御不能にいたるような(そして、その災禍がとり返しがつかないほど深刻な時代を引き起こすものである場合はなおさら)機構や装置は、最初からつくるべきでないという…結論に達している…天災が原子炉の平常運転を撹乱したのち、それをまったく制御できなかった現実を見せつけられ、その膨大な被害を被った私たちにとっては、あまりに苦い教訓ではないだろうか。…

最初からつくるべきでない、ものは、つくってしまったら動かすべきではない、ということだと思う。それに上乗せして、制御できなかった凄まじい現実があっても動かしてしまった今の状況は、人間の欲望こそが制御不能だという証のようで、希望が見えない。

日々本 第164回 針谷和昌)

hariya  2012年12月10日|ブログ