日々本 其の百五十六「原発事故 総理大臣」

『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(菅直人/幻冬舎新書)

「最悪のシナリオ」「五千万人避難のシミュレーション」が実現することなく危機を脱することができたのは、「幸運な偶然が重なった結果」だという。「神の御加護」という見出しがついた章の冒頭にこう書かれている。

もし、ベントが遅れた格納容器が、ゴム風船が割れるように全体が崩壊する爆発を起こしていたら、最悪のシナリオは避けられなかった。
しかし格納容器は全体としては崩壊せず、二号炉ではサプレッションチャンバーに穴が開いたと推定されている。原子炉が、いわば紙風船にガスを入れた時に、弱い継ぎ目に穴が開いて内部のガスが漏れるような状態になったと思われるのだ。
その結果、一挙に致死量の放射性物質が出ることにはならず、また圧力が低下したので外部からの注水が可能となった。
破滅を免れることができたのは、現場の努力も大きかったが、最後は幸運な偶然が重なった結果だと思う。
四号炉の使用済み核燃料プールに水があったこともその一つだ。工事の遅れで事故当時、四号機の原子炉が水で満たされており、衝撃など何かの理由でその水が核燃料プールに流れ込んだとされている。もしプールの水が沸騰してなくなっていれば、最悪のシナリオは避けられなかった。まさに神の御加護があったのだ。(p36-37)

最悪のシナリオとならなかったのは、ただただ“幸運”だったからだということを突きつけられると、あの頃の恐怖感が蘇る。これからどうなるのだろう?という不安感、そして最悪の事態になったらどうなってしまうのだろう?という恐怖感。

地震・津波・原発の「三重のリスク」を負っている場所は、この地球上で、米国西海岸と日本列島に二か所ぐらいだ。しかも日本は広大ではないので、原発事故が最悪のケースになれば、国家の機能が停止してしまいかねない。(p151)

「国家が崩壊しかねないほどの原発事故のリスクの大きさを考えたら、「安全な原発」とは原発に依存しないことだと確信した」(p150)、「まず、私たち日本人が経験した福島原発事故が、国家存亡の危機であったという共通認識を持ち、そこから再スタートすべきだ。それを忘れた議論、無視した議論はまさに「非現実的」な議論だ」(p190)という前首相の意見に、全面的に賛成する。

日々本 第156回 針谷和昌)

hariya  2012年11月24日|ブログ