日々本 其の七十一「続 街場の読書論」

『街場の読書論』(内田樹/太田出版)

読み終えました。夢中になって読み続けて、そしてなぜこの著者の本が面白いかがわかりました。それは著者の姿勢にありました。

私がものを書き始めたのは「読みたい雑誌がない」ということが大きな理由であった。仕方がないので、自分で書いたエッセイを自分に読ませていたのである。
よく、「どうしてあんなにたくさん本を書くんですか」と訊かれるが、むろん自分で読むためである。(p269)

ですから、ひとりでも多くの人に話を聞いてほしい、書いたものを読んでほしいと思う人間にとっての技術的な最優先課題は「どうすれば、聴き手や読み手はこのメッセージを『自分宛てだ』と思ってくれるか」ということに集約されることになります。(p408)

問題はコンテンツではなく、宛て先であるというのは、メッセージが本質的に「贈り物」だからです。(p412)

著者は読者に向けて全力で書いています。その照準の当て方、それに対してあらゆるベストを尽くすその徹底ぶりが、群を抜いているのだと思います。もちろんその背景に、知性や技術や熱意があることは言うに及びません。

物書く人が願うべきことは、何よりも「はるか遠い読者」にも届くものを書くことである。(p396)

それは空間的に遠いだけでなく、時間的にも遠い場合も含めてのことだそうです。時間的に遠い読者という発想が驚きです。それって誰でしょう?それは著者の場合、昔の自分、20歳の頃の自分だそうです。

この話の続きを読みたい方は『クリエイティブ・ライティング 街場の文体論』(ミシマ社、二〇一二年)を読みください(まだ書き終わってませんが)。こちらは全編「そういう話だけ」の本です。(p413)

しっかりと次の本のPRもあります。いつ出るのかわかりませんが、とても楽しみです。

日々本 第71回 針谷和昌)

hariya  2012年5月21日|ブログ