日々本 其の六十二「原発と正義」

『対話型講義 原発と正義』(小林正弥/光文社新書)


マイケル・サンデル教授『ハーバード白熱教室』の日本版を推進している千葉大・小林教授の講義録。多くの参加者の発言が再現されている。対話型講義では物事に対する結論が出る訳ではないが、様々な考え方が提示されることで参加者や読者の思考を刺激し、右か左かの対立軸では簡単に位置づけられない議論は、今まで支配的だったステレオタイプの思想を打破する可能性を持つという。

また、活発な議論をするために、学生たちは自分自身で調べ、考え、実践するようになる。ソクラテスが、相手が自ら考えることを促す問答法を“産婆術”と呼んだそれこそが、ギリシャ以来の英知の探求法でありリベラルアーツの原点だという。

その先駆者であるサンデル教授は「正義」を3つの考え方に整理していて、それを小林教授は「福利型正義論」「自由型正義論」「コミュニタリズム」であると説く。サンデル教授には『公共哲学』という本もあるが、英語圏では公共哲学とは人々に広く共有されて行為や政策の指針となる考え方を指すという。その様な前段のあと、皆の議論が始まっていく。

その中には「福島原発行動隊」のメンバーという人がいる。この行動隊は、60歳以上の人間が動いて原発の現状を打破しようとする試みだそうで、歳をとっているのであまり寿命にも次世代にも影響が少ないという逆転の発想で生まれた活動。そういう参加者もいれば、例えば原爆に使われたウランは800g、原発1基が1年間に燃やすウランは1tという話(これは僕が個人的に書き留めておきたいデータだったのでたまたま取り上げた)をする科学技術の専門家もいれば、医者も、研究者も、もちろん学生も、そして政治家いる。年齢も20代から60代まで。

議論を読んでいくと、いろいろなことを考える上でやはり温暖化へ対応しなければいけないという強い義務感を何人かから感じられるし、われわれの意識の根底には最先端科学技術の原発を使いこなせなければというプライドや、原子力という大きな力に惹き付けられてしまう心理が潜んでいるように思えた。

液体を燃やすトリウム溶融塩炉というものがあり、プルトニウムは燃えて連続して核変換して消滅してしまう。そんな技術もあるというのは驚き。このことを発言したのは「森中(専門家)」という人。この話は今度、もう少し掘り下げて調べてみたいと思う。

政治家として唯一参加している長妻昭議員の「意思決定というのは待ったなしなので早急な判断を迫られている」「電気の量は経済成長と平仄を合わせて伸びているわけではない」というコメントが印象的。

50代の発言者の、南北戦争時にリンカーン・ダグラス論争というものがあり、「奴隷を使うか使わないかは自由だ」というダグラスに、リンカーンは「奴隷を使うか否かは自由ではなく、奴隷制はそもそも間違い」と言ったという話も印象的だ。

そして最後に、参加者から問われて、小林教授は自分の考えを披露している。それまで産婆役に徹してきた小林教授が、スパッと語る部分は爽快である。

・原発をどうするかは国民的議論が行われるべき
・根本的に正義に反する核兵器に転用するために原発及び核燃料サイクルを維持するという考え方は明らかに不正義
・功利主義で計算すると原発事故が起こると不幸の方が大きくなり、原発事故が人命や健康に対する脅威であることを考えると、リベラル派からみても、危険性の高い地域の原発は絶対に止めるべき
・コミュニタリズムの立場でも周辺地域のコミュニティ全体が脅威にさらされるので、再稼働は許されない
・あらゆる哲学的立場から原発の再稼働は不正義
・原発の輸出も不正義

結論が出た。「正義」という概念を軸に考えると、こんなにすっきり整理できるのである。

日々本 第62回 針谷和昌)

hariya  2012年5月01日|ブログ