日々本 其の三十九「インナーゲーム」

『新インナーゲーム』(W.T.ガルウェイ/後藤新弥 訳・構成/日刊スポーツ新聞社)


前作『インナーゲーム』から数えると、この本を読んだのは今回で3度目になる。初めて『インナーゲーム』を読んだのは大学生のとき。夢中になって読んで、スポーツの腕が上達したことを覚えている。そしてこの『新インナーゲーム』は奥付に「2009年8月24日 第7刷発行」とあるので、そのあたりに読んだと思う。それから更に3年経って早くも記憶が定かでないけれど、僕の場合は常にスポーツ能力の向上がテーマなので、そういう意図で読んだ筈だ。

1度目の『インナーゲーム』と同様、30年を隔てた2度目の『新インナーゲーム』の読後も、やはりスポーツの腕が上達した。草野球の打率はこの年から3シーズン、.380→.440→.450と上がり、真ん中のシーズンには投手としても公式戦7勝0敗だった。それまで打率は2割台、投げる方も勝率5割ぐらいだったので、自分でも驚くべき上達。閑話休題(自慢話風になってしまって主旨から逸れていって申し訳ない)。

今回読もうとしたのは、本を整理している時にこの本を見つけ、突然「インナーゲームはゾーンに通じ、ゾーンは仏教の悟りに繋がっている」のではないかと思い立ったからだ。この3年間で仏教の本をたくさん読んだ。その上でこの本を読んだら、両者の共通点がはっきりとわかるのではないか、と思った訳である。

「自分の注意力を集めて意識が高まり、思考せずに自身を信頼する」これがインナーゲームの極意である。「思考・計算・判断・心配・恐れ・希望・頑張り・後悔・焦り・他のことに気を取られるといった活動を鎮め、心を静かにする」と「自分を一つにする」ことができる。「人間の判断癖を消去」する。「判断をしない・イメージを与える・自然に発生させる」がインナーゲームの3つの原則的テクニック。「インナーゲームはある意味、子どもに戻ること」でもある。「自分の肉体の内側の感覚に意識を集中する」。

「注意力とは、与えられた時間内で、何回『今』を意識できるかの、バロメーターである。『今』に注意を集中し続けることを体得すれば、『今』起きていることを、より多い瞬間で意識できるようになる。その瞬間が多くなれば、相対的に時間は遅くなる」「呼吸に焦点を合わせることは不安に対抗する協力な武器になる。不安は、将来起きるかもしれないことへの恐怖であり、この恐怖は、心が将来どうなるかと考え始めたときに持ち込まれる」

「それは常にそこにあり、自分がそこに留まれずに出てくるだけだ」「ゾーンは常に、人生を通してずっとあなたの内側に存在している」「『今、ここで』だけが、真に人間が自分自身をエンジョイし、何かを達成できる場所と時間なのだ」「『今、ここに』あるものに満足する人は、先ずいない。『今、ここ』よりもっといいここであってほしいという欲望」が人間にはある。

「『障害』が大きければ大きいほど」「自分の真の能力を発見し、それを延ばすことができる」
「隠れた自分の可能性を探るために」「挑む」
「真の競争は、真の協力と等式で結ばれる」
「『勝とうとすること』と、『勝つために努力すること』の違い」
インナーゲームは「瞬間、瞬間を『今、ここで』に集中し、自分自身に自然の力を発揮させ、真の勝利や敗北を体験するゲーム」である。

上記に挙げた最後のブロックの事柄を、著者が身をもって体験したテニスの試合のシーンの話には、素晴らしい小説を読んだときのように心が動かされる。インナーゲームが常にできたら快適だろうし、ゾーンに常に入ることができたら、とてつもなく幸福なんだと思う。おそらく、悟りとは、毎日毎時間、ゾーンに入っている状態なのではないだろうか。

類書に『インナーテニス』『インナースキー』『新インナーゴルフ』、邦訳されていない原書には『インナーワーク』があるという。僕はゴルフはやらないので、それ以外の『インナー』シリーズを読んでみようと思う。

日々本 第39回 針谷和昌)

hariya  2012年3月07日|ブログ