ことしの本棚66『福島原発の真実』

『ルポ 東京電力 原発危機1ヵ月』(奥山俊宏/朝日新書)



震災後、毎日何回も記者会見が行われた東京電力本店。そこは新橋駅から歩いて6-7分程度、何回か、いや何回も訪れたことのあるので、どこで何が行われていたかの話が、リアリティをもって伝わってくる。

そして記者団と東電会見者のやりとりを読んでいると、水素爆発が起きるぞ起きるぞ、と心配していて、とうとう起こってしまった、という流れがよくわかる。

『三陸海岸大津波』(吉村昭/文春文庫)にも通じる“ジョーズ”的な恐さ。来るぞ来るぞと心配しながらもしばらく来ず、とうとう来た!という感じ。これは恐い。そういう恐い部分に加えて、いろいろと興味深い話も多い。

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会見に出て来る担当者に、エース、カリメロ、マッキー、デニーロ、ムトゥなどとあだ名がついたそうだ。このあだ名リストを持ちながら、当時の会見を見直してみたい気もする。

3月11日の午後3時過ぎ、東電には事情災害対策本部が設置され、「あらかじめ緊急時態勢の要員に指定されていた社員たち」が集まってきたそうだ。あらかじめ緊急時の要員を決めておくというのは、優れた危機管理体制だと思うのだが、TVに出て来た人たちの殆どが、緊急時の対応に適していたかどうか、かなり疑問に思える人たちだった。

海に「放出された汚染水の放射能濃度よりも、海水の放射能濃度のほうが高かった」ということを初めて知った。

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この本の後に『福島原発の真実』(佐藤栄佐久/平凡社新書)を読んだのだが、東電の体質がかなりリアルに描かれていて、この2冊を逆に読んでいたら、また違った読み方もできたと思う。

1988年から2006年まで福島県知事を勤めた著者。「国が操る『原発全体主義政策』の病根を知り尽くした前知事がそのすべてを告発する。」こんなコピーが、帯にも見返しに折られたカバー部分にも、書いてある。

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前知事が知事になって初めて痛感したことは「原発の安全問題から地元が阻害されている事実」ということや、「トラブルが深刻になったとしても地元や県は放っておいて、東電本店に連絡すればよい。東電は、監督官庁の通産省に報告すればそれでよい」という考え方だそうで、そこから国との戦いが始まる。

東京電力が持つ原発17基が点検などですべて停止したことがあって(2003年4月)、原発による発電は東電の全発電量の4割を占めているため、この時も大停電の危機が大新聞に書き立てられたそうである。結果は歴史的な冷夏で大停電は起きずに終わる。

「いままで再処理工場は、まともに稼働したことがない。」

最後に著者はこう書いている。「いままでのように、上から下りてくるものをただ受け入れるのはやめよう。個人が考え、地域で議論し、それを市町村に、さらに県に、そして国に―。これこそが新しい国のあり方であり、地方自治のあり方でもある。」

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国でも企業でも、組織という形になるとおかしくなることがある。組織とは何なんだろう?そして成長し続けなければならない経済とは、いったい何なんだろう?この本を読んで、経済関連の本をまた2冊買った。

ことしの本棚 第66回 針谷和昌)

hariya  2011年7月24日|ブログ