ことしの本棚59『復興の精神』

『復興の精神』(養老孟司・茂木健一郎・山内昌之・南直哉・大井玄・橋本治・瀬戸内寂聴・曽野綾子・阿川弘之/新潮新書)

「『これから』をどう考えるか 3.11以降を生きる杖。」というサブタイトルがついた、9人の共著。意外なことに、書いたものを読むことが多く、僕が勝手に良く知っているあるいは比較的知っている気になっている6人=養老孟司・茂木健一郎・橋本治・瀬戸内寂聴・曽野綾子・阿川弘之=と、初めて読む3人=山内昌之・南直哉・大井玄=に分かれる。知っている方々は知っている通りに、そして僕にとって新鮮な方々は新鮮な感覚で受け取れる。

総合文化研究者の山内昌之氏は「公欲のために私欲を捨てよう—『災後』の歴史認識」と題して、次のような章立てになっている。

1 「災前」と「災後」を区分すること/2 復旧と復興のリーダーシップは/3 「災後」のたしなみとは/4 享楽と消費だけに満足できるのか/5 ゆきすぎた華美と贅沢の結末は/6 欲を肯定すべし、さりながら……

最初の方で、明治天皇の和歌「己が身は顧みずして人のため尽くすぞひとの務めなりける」が紹介され、最後のほうで儒学者・佐藤一斎の『言志録』から、「私欲は有る可からず。公欲は無から可からず。公欲無ければ、則ち人を恕する能はず。私欲有れば、則ち物を仁する能はず」が紹介されている。後者は「災後」に生きる日本人たちが、常に心に抱いて忘れずに堅く守るべき言葉としている。

禅僧の南直哉氏は、「祈り」についてこう書いている(以下、概略)。古代の人たちは自らの無力を日々の生活で実感し、現代の我々が政治を行い科学技術を利用するように、生活の必要として祈れた。我々が祈りを知らないのは、我々が無力であることへの長い忘却の果ての無知ゆえである。

医学者の大井玄氏は、閉鎖系倫理意識と開放系倫理意識について語っていて、日本人は世界歴史において典型的な閉鎖系倫理意識を発達させた民族であり、開放系倫理意識の典型はアメリカ人だという。

震災は、皆が自分のこととして語らざるをえない大きなテーマである。誰もがそれぞれの意見を持っているだけに、オピニオンリーダーと呼ばれる人びとも、普段以上に真剣勝負で、その人にしか書けないものを書いている気がする。

ことしの本棚 第59回 針谷和昌)

hariya  2011年6月29日|ブログ